( 寺って何? 10 )2013年04月16日

 次は【長野県】の辺良(てら)郷。遺跡等があったわけではないが、字が面白いので掲載した。同郷について地名辞書は…『和名抄』(※)高山寺本には「辺良」、流布本には「弖」と記し、ともに訓を欠いているが「てら」と読むのが定説である…とある。テラなる言葉が寺をてらと訓む以前からあったことが窺えると思うのだが、どうだろうか。(※『和名類聚抄』のこと。平安時代中期の辞書)

 同じような例が伊那市大字手良沢岡「下手良」。文明2年(1470)の『伊那廻湛日記』には下寺と見えるという。ところが天正19年(1591)の『信州伊奈青表紙之縄帳』では「下手良」とある。ここから、この地が元寺関係のモノがあったからテラと呼ぶのではなかったことが分かると思う。

 岐阜、静岡、愛知、三重と飛ばして古都【京都】。亀岡市曽我部町寺に「寺村火葬場」。竜ケ尾山の山麓にあって、造園開墾中に見つかったのだそうだ。大地の地山を掘った周囲に小石を積み、その中に灰が詰まっていたとのことだ。その中央部には蔵骨器を直接納め、容器の口を石で封じ、土を盛った跡が。焼骨はほとんどが細かく砕かれていたが(何故だ)、頭骨が主で、かなりな高熱で火葬されていたことが分かっている。「比較的丁重に葬られていることから、平安末期の火葬場と考えられている」とのことだ。平安末期には火葬は一般的だったのか-またもや不学を恥じる。でも、燃料は何だろうか。

 大阪府を飛ばして【奈良県】。川上村大字「寺尾」には「集落の街道端に、先年まで大石があり、傍らに御首載(おくびのせ)石の標柱があった。長禄年間、赤松氏の遺臣が後南朝北山宮の首を持って逃げる途中、対岸の塩谷村で待機していた侍が弓でそれを射止め、首を奪い返し、その大石に載せたとの言い伝えがある」。長禄は1400年代中期。石に首を乗せてどうしたのだろうか。

 中国四国を眼下にやり過ごし、一気に火の国・九州へ。実は奈良より先、気になった地名が見当たらず腐っていた時、ひょんなことが頭に浮かんだのだった。「洞(ほら)」の存在だ。寺と洞は相通じるものがあるのではないか。沖縄のテラは正にホラではないか、よ~し、気を取り直して頑張ってみよう、と探していたら【高知県】江ノ口村内に「洞ケ島」を発見。ほらがしま、と訓む。古くは海潮の浸す地であったからという。洞穴はなにも海と交わらなくてもいいと思うのだが、何かが何処かの段階で抜け落ちたのだろうか。

 佐賀県】にもあった。佐賀郡は富士町大字関屋に「法良貝(ぼらん)」の地名。縄文式土器や石鏃、石斧等が出土しているが、古墳時代の遺跡はない。ホラ貝を鳴らして山内に急を告げた場所、というのが地名の由来らしい。

 鹿児島県】奄美諸島の笠利町はかつて「平村」だった。タイラムラではなく、テラムラ。平家ゆかりの地と伝わり、テェラ、テリャとも発音したらしい。

  *   *   *

 フウ~。途中、飽きた時もあったけれど、取り敢えず内地の突端までやってきた。丁寧に調べればもっと出てくるかもしれないが、なにしろ飽きっぽい性格なので仕方がない(と自分を慰める)。

 次からはいよいよウチナ~へ。5月、かの島を訪れる予定なので、格好の予習となるかも。さて結果や如何に…。



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