【 ひぬ かんぬ くに 】2013年09月23日

彼岸花
 日高見国(ひたかみのくに)、とは何であったか、どこにあったのか――。
「日高見国」をアイヌ語で「チュプ・カ・モシル(Chup Ka mosir)=日な・上の・国」の直訳だ、としたのは菅原進氏だ(『アイヌ語地名解』第1巻376ページ)。
 言い換えると、日高見の人々はアイヌ語(の祖先語)を話し、「ひたかみのくに」とは大和の人間が、チュプ・カ・モシルという東北の地を大和言葉に翻訳した呼称、ということになる。すると、北上川や北上山地、氷上神社の(きたかみ、ひかみ)は大和人が名付けたのか。どうも釈然としない。前にもちょっと触れたが、地名で不明なところが出ると、すぐアイヌ語に求めるのは余りよい癖だとは思わないへそ曲がりのOGIMARUである。
 岩波の『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝』(石原道博)の中にこんなくだりがあった、ような気がする。かつての中国人がなぜ日本(人)を“倭=わ(人)”と呼んだかというと、「お前たちはどこから来た」と尋ねた際、日本人が「わ(俺)のことか?」と聞き返してきたので、てっきり『わ』というのが彼らの国の名前だと思った、というのだ。今となっては確かめようもないが、なるほどな、と思わせるものがある。
 その伝でいくと、こんな話はいかがだろうか。大和人があるとき、東の遠方に出掛けた。そこで西に出向いていた日高見国の人にばったり出くわした。丁度、それは彼らが日が昇る方向を拝んでいた時だった。大和の人は「何をしているの? 貴方達の拝んでいるのは何?」と尋ねた。すると日高見の人々は「日(火)の神を拝んでいるのっしゃ」「拝む向こうには日(火)の神がおわします」と答えた。なので、大和人は遥か遠くの東北の地を日(火)の神の国と呼んだ。日(火)の神の国は、ひぬかみぬくにだったかもしれないし、ひなかんぬくにだったかもしれない。もしかしたら、ひぬかんぬくに、だったかもしれない――このこじつけ、どうだろうか。